40代にもなると、男の身体には静かに、しかし確実に変化が忍び寄ってくる。肩はこるし、胃腸は弱るし、夜中に一度は目が覚める。だが、その中でも、ひそかに心をざわつかせるのが——髪の毛だ。
朝、洗面所の鏡を見る。寝癖はいつもの場所にぴょんと立っているのに、なんとなく『地肌の主張』が強くなってきた気がする。気のせいだろうと思いたいが、ドライヤーの風に合わせて、前髪が以前ほど密集していない事実が浮き彫りになる。まるで、町内会の出席率が年々下がっていくみたいに、本人の知らないところで減っているのだ。
40代の薄毛の理由というのは、これまたややこしい。ストレスだとか、ホルモンバランスだとか、生活習慣だとか……。原因が多岐にわたりすぎていて、「これだ!」と犯人を指差すことができない。しかも、どれもこれも「心当たりがある」というのが困る。仕事でのプレッシャーは年々増すばかりだし、若い頃みたいに「徹夜明けでも元気です」なんて言えるはずもない。アルコールも弱くなり、脂っこいものを食べると翌日に残る。そう考えると、髪の毛が遠慮気味になっていくのも無理はない。
しかし、薄毛というものは、本当に始末が悪い。腰痛のように「痛いです」と主張してこない。風邪のように「熱が出ました」と分かりやすいサインを出すわけでもない。ただ、ある日ふと気づくのだ。「あれ?ここ、昔もっとふさふさしていたような……?」という、内緒話のような気づき方で。
こうなると、男性という生き物は妙な意地を張り始める。「まだ大丈夫だろう」「気にしすぎだ」「照明のせいだろう」などと、理由を探して自分を慰める。だが、鏡は正直だ。洗面所のLEDライトはもっと正直だ。光の下では誤魔化しが効かない。髪は髪なりに、揺るぎない事実を照らし出してしまう。
僕は思うのだが、こういうとき、人間は自分の体に対して、もっと素直であってもいいのではないか。40代になると、健康診断の結果だって真剣に受け止めるようになるのに、薄毛だけは、なぜか『精神論』で乗り切ろうとする。根性で髪が生えてくるなら、世の男性はとっくにライオンのようなたてがみを手に入れているはずだ。
最近では、AGAという便利な仕組みがある。昔のように「育毛剤をとりあえず塗ってみる」一択ではなく、医学的に原因を探ってくれる。しかも無料で相談できるというのだから、使わない手はない。無料と聞くと、つい警戒してしまうのも40代の慎重さだが、話だけ聞いてみるのも悪くない。『知らないままで悩む』より、『知ったうえでどうするか考える』ほうが、精神的にもずっと楽だ。
考えてみれば、髪の毛のことは、誰も本気でアドバイスしてくれない。友人は気を遣うし、家族は言いにくいし、自分は認めたくない。だからこそ、専門家に「ちょっと見てください」と言えるのは、案外大きな安心になるのだ。
40代というのは、まだまだこれからだ。仕事も、人生も、第二ラウンドに入ったような時期である。そのタイミングで髪が少し寂しくなってきたからといって、戦意喪失するには早すぎる。むしろ、体のメンテナンスを始めるいいきっかけなのかもしれない。
鏡の前でため息をつくくらいなら、一度くらいプロに相談してみたらどうだろう。自分の髪の未来が、今より少し明るく見えてくるかもしれないのだから。
※本記事は個人の体験をもとに作成したものであり、効果には個人差があります。
※治療は必ず医師の指導のもと行ってください。
※薬の使用可否や副作用リスクは個人の健康状態によって異なります。


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